キットプランニングのできること

東北 神社めぐり7

岩手県の十和田湖の東側にある「奥入瀬」は、とてもきれいな清流が流れる神聖なところです。SONY DSC

川をさかのぼり奥に入ると、自然林が活き活きとし、森林浴1000%気分。

なぜか不思議なことに森の中なのに暗くありません。ちょっと乙女チックな表現ですが、たくさんの妖精に囲まれたような雰囲気になります。ほんとうに都会の雑踏の垢がとれていくようなすがすがしい気分になります。

奥に進むとたくさんの滝があり、これがまたすごい!!!

もう神々しいような神聖なエナジーを感じます。SONY DSC

仕事につかれた方必見です。

できたら今年も行ってみようかと考えてます。ご旅行を予定されている方、ほんとうにお勧めです。

 

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神社めぐり6 東北

今回は、東北の神社を紹介します。
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関西の方々は、あまり東北に旅行に行く機会が少ないと思いますが、とてもユニークなところが多く、ぜひお勧めします。
何より、自然の深さを感じます。私は北海道の生まれで、自然に恵まれた地域の生まれですが、東北の自然 特に、自然林には、圧倒的な豊かさを感じます。白神山地のブナの森林など言葉にならない迫力です。

旅行に行く前に、よく観光ガイドを見ていく方が多いと思いますが、旅行先を舞台にした小悦などを読んでいくのもよいと思います。
お勧めの本は、岩手県出身の 高橋 克彦さん主筆の「炎(ほむら)立つ」です。これは今、世界遺産となっている「平泉」がどのようにして造られたか、その思想の根底がわかるスケールの大きな本です。また、より年代の古い時代を舞台とした「火怨」も大好きな本です。日本におけるいわば内戦をえがいた本で、先住系の東北人と京都を中心とした政権との戦いを描いた本です。色々と考えさせられます。
これらの本を読んでいくと、東北の大自然の深さの恩恵のもとに息づいた、人々の暮らしを感じることができ、感激も増します。

実は、高橋さんは、SFチックな「竜の柩」という本もだされていて、東北地方にキリストの墓がある伝説やピラミッドの存在も書います。興味があり、すべて行ってみました。折を見てご紹介します。

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神社めぐり5 縄文土器と日本人

東北の神社を紹介しようと、昔取った写真を調べていると、青森で行った美術館の縄文土器のパンフレットがあり、それを読んでいるうちに面白くなり、今回は縄文土器についてお知らせします。a0070_000062

旅行に行ったときは、何気なく鑑賞していたのですが、新ためて見てみるとその力強さや表現には、なにか前衛的な芸術性を感じます。その美術館の説明書に、驚く内容が書いておりました。「日本の縄文土器は、地球上で最も古い人類の創造物である可能性がある。」そういえば、以前、私もたしかその記事をテレビなどマスメディアで聞いたような記憶があるなあ。最初は、その程度だったのです。

ちょっと興味がわき、さっそく調べてみると、新しくカーボン鑑定という方法で、「縄文土器は、およそ1万2千年前のものである。」と発表されています。なんと人類の文明の発祥地であるといわれる古代メソポタミアで発掘された土器は、およそ8000年前のものです。                それより古いということは・・・。

さらに興味がわき、さっそく専門書を購入しました。京都市立芸術大学学長 梅原 健さんの「縄文の神秘」という本です。この本は、多くの写真も掲載され、わかりやすい解説で構成されています。本の概要は、縄文土器の芸術性の評価やそれを使用した縄文人の生活様式および生活文化の創造などなど、特に、宇宙人説もある遮光器土偶がなんの為に造られたかの著者の「仮説」にはうなずけます。(私は宇宙人説が好きでしたが・・。この本、文庫本で購入しやすいです。)

もう一つ、感銘した点は、世界最古の土器と鑑定されているのもかかわらず、日本の学会は、それを受けいれない空気となっている理由の解説です。

縄文土器の研究には、画期的な出来事が2つあったそうです。第一は、一つの土地を掘り下げるとその地層によってさまざまな土器が出土するが、下から出る土器は、上から出る土器より古いと考えなければならない。多くの場所での発掘で、このような注意深い比較研究を続けることで相対的年代が決定される。この学問の積み重ねで、縄文時代が創世記、早期、前期、中期、後期、晩期という分類が可能となったとそうです。第2は、時代解明方法としてカーボン鑑定という方法が出たことです。しかし、「考古学の第一人者が、日本の土器の発生を5000年前とした。その根拠は、土器は、やはり文明の発祥地である古代メソポタミヤからやってきたに違いない。アジアの西の果てから、東の果ての日本に来るには、3000年はかかるであろうという漠然たる推定がその根拠となっていた。」と作者は語っています。   この第一人者の考えに、学会が反論をしなかったことが、カーボン鑑定説が受け入れられない理由だそうです。

もう一つの背景は、「日本の戦前の国粋主義者が、日本は神国であり、日本文化は、万邦無比なものであるといった。そのような信念に導かれた日本は、その後ひどい敗戦の憂き目にあった。戦後の日本人は、日本を礼賛する一切の言葉には、はなはだ警戒的であったのである。」とも語っています。

なんかとても残念な実態ですね。たしかに「戦争は人類にとって避けるべきものである。」という考えは誰しも思うことで、正しい考えにまったく間違いはありません。しかし、人間の思想や行動は、ある種偏りすぎた思想にふられたものは、何かのきっかけで大きく逆に振られるそうです。敗戦後70年を経た日本では、ようやくニュートラルな位置に戻ってきているかもしれません。間違った方向にもう一度陥らないためにも、そろそろ冷静に史実を真摯に見ていくことが大切な時期に来たとのではと考えます。a1180_013017

昨今、日本が右傾化しているなど、海外を含めて、警鐘する方々が多いのですが、こんな時こそ、我々は、冷静に事実と向き合い、考える必要があると思います。海外で生活した経験がある私としては、間違いなく日本人は「民度」が高いと思います。

その証左として、阪神大震災や東北での大震災の際、世界が称賛した被災者の方々の姿です。あれだけの自然の猛威にあったにもかかわらず、だれもがパニックに陥らず、整然と困窮した状況に対応した「被災者の方々の行い。」は、古代から連綿と続いた文明の現れかもしれません。きっと自然と融合し、平和な共同生活を永く営んだ縄文人のDNAが働いたに違いないと思います。

次回は、とてもおもしろい東北の神社を紹介します。

 

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韓国の赴任4(バブル景気の要因)

韓国のバブル景気の背景の「カード危機」についてお伝えします。

私が赴任した年は25年ぶりの寒波で常時-20度近い寒さでした。この寒波の中で、路上では、べニア板の上に、たくさんのぬいぐるみを置き、なんやらアンケートみたいなものを募集していました。まるで屋台のように10M間隔くらいにそれがが居並んでいました。なんとこれは、クレジットカードの申込みを受付していたのでした。

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韓国では先の規制緩和と並行して、内需拡大を中心とした景気浮上策を用いていたのです。また、税徴収を主眼としたカードの発行を国がらみで奨励していました。具体的には、法人カードを使えば、無制限に費用として会計処理が可能で、会計士事務所からも飲み食いはカードで支払ってくださいと指導されます。

すべての商売をカードの支払いにすることで、取引を透明化し、税の申告逃れをさせないようにする政策なのです。また、相当に小さなお店、たとえば小さなタバコ屋さんにもカードリーダーを置いています。また、韓国では、日本円で1000円未満でもみなカードを使用します。

理由は、カードを使うと申込しなくても「宝くじ」の特典があります。私も合計5万円くらい当たりました。(カードの請求から値引きされます。!!)また、なんとカードで使った分を所得から一定額が控除対象となり、確定申告で税金が返ってくる仕組みになっています。だからカードを持っている人は1000円未満でもカードを使用するのでした。逆に言えば、カードが使えないお店がないくらい、カード推奨を促進していたのです。

最近、日本のVISAのCMで、「韓国では、ここでも ここでもVISAカードが使える。」といったコマーシャルは、この奨励政策の名残りなのです。各社カード会社も会員獲得競争を行い、審査は事実上なく、顧客を増やしました。それが、あの寒波の中のぬいぐるみキャンペーンだったのです。各クレジット会社は、軒並み最高益を達成していました。

その後、この異常な競争の結果、カードの限度額が大幅に増加され、ショッピングでのカード利用から、一気にフリーローンを中心に使われていった時期だったのです。

一方、銀行はいうに及ばず一般企業もこのビジネスは、儲かると貸金業にビジネスを展開します。規制緩和で認可なく貸金業としてビジネスできます。クレジットの限度額を超えた顧客は、クレジットから銀行カード、その後、これら一般私債や貯蓄銀行に流れました。ちなみに日本でいうサラ金は、韓国では私債とよびます。日系企業も進出し、大流行でした。しかし、その金利は、規制緩和でなんと60%~100%という高金利だったのです。最終的には、貯蓄銀行とこれら私債が、不良債権をたくさん抱えました。

実は、私が勤めていたシステム会社では、個人ローンのオーバーローンを防ぐための個人信用情報センターの構築を目指していたのですが・・・このセンターがあればこんなオーバーローンを防げたかもしれません。残念・・・。a0990_000347

このように借りたお金で、景気が沸騰していたのです。魔法のカードを使った「借金バブル」とも言えます。事実、2001年には、人口4500万人の韓国でいわゆるブラックとされる人数は200万人をこえ、2003年には、300万人に増え、2004年には377万人となっています。

この影響で、ソウル支店の顧客であった貯蓄銀行が破たんし、会社もダメージを受けてしまいました・・・。

次回は、韓国でのちょっとおもしろい市民生活についてお伝えします。

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韓国の赴任3(アジア通貨危機)

a0800_000013韓国に赴任した2000年の少し前、韓国では、アジア通貨危機に直面していました。韓国経済は混乱し、97年末には韓国はデフォルト寸前の状況となり、IMFは救済援助を行った。いわゆる「IMF危機」が起きていた。その際、韓国の民衆の多くが個人所有の金を中央銀行に寄贈したという美談はあるものの・・・、その後、誕生した金大中政権は、99年に外資導入政策として、証券投資に対する大幅な規制緩和を実施し、その結果、多くの外国資本が流入し、大手銀行のほとんどが外国資本が支配する状況になっていました。その後、奇しくもこれら投資家たちとビジネス交渉をするのだが・・・これはまた別の機会に

日本でも長期信用銀行がリップルウッドに浸食され。その後、外国資本家たちは、この銀行を新生銀行として再上場させ、巨額の売却益を吸い取られた。このスキームに酷使している。当時の韓国の場合、これら投資ファンドたちにやられていない銀行は、住宅ローンを扱っていた住宅銀行と国民向けの貸出をおこなう国民銀行の2つだけであったが、後にニューヨーク市場に上場していた住宅銀行に吸収され一本化される。全くの私見ですが、振り返ってみると、金大中、その後に続く盧武鉉大統領は,いわゆるリベラル派と言われる左派です。半島統一という幻想の中で、韓国経済をいったん壊すつもりであったかもしれない。

「規制緩和は正義である。」との看板を掲げ、グローバル化という名のもとに、国際金融資本家たちの浸食で草刈り場になっていました。銀行を抑えた資本家たちは、さらに、融資条件という武器を持ち、数々の企業をむしばんでいく。リストラの強要など収益の向上が最優先で、ただ企業価値を高め、目的として、再上場や高配当を目指す。最終的には、売り飛ばしをもくろんでいる。当該企業やその国の将来など意識はない・・。

そういう意味、日本国の対応は、長銀だけでおさまったともいえるかもしれません。

もうこの規制緩和はなんでもありで、街中すごいことになっていた。「カード危機」の到来です。これが前回のバブル景気の要因であったのです。

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韓国の赴任2(バブル時期)

イメージ 日本の景気

イメージ 日本の景気

韓国ソウルへの赴任時2000年12月は、日本では、バブル崩壊の余韻が続き、街中は、不景気の風が吹き荒れる状態が続いていたころでした。デパートでは、ものが売れずに史上最低の業績不振、一方、夜の繁華街も閑古鳥が鳴くさみしい状態。街には、空車のタクシーが客をあさるように並んでいる状況でした。皆さんも記憶に残っていることと思います。

しかし、韓国はちがいました。どのレストランに行っても満員御礼、高級クラブも金曜日など予約なしでは、2時間待ち。日曜日にのぞくデパートなど人でいっぱいで、なおかつ、ちゃんとものを買っています。(中国でも、この時期、歩けないほどデパートは超満員でしたが、みな見物するお客ばかりで、まるで動物園にくる観客のようであったが・・・。)

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一番驚いたのは、金曜日の夜、地下鉄がなくなる夜11時半を超えるとタクシーにのる客が道路わきに2000人くらい群がっていました。軽く2時間は待たなければなりません。日本の現状を知っている私は、まるでワンダーランドに来たのではないかと驚くばかりでした。

でもこの状況には実は、恐ろしい秘密があったのです。・・・続く。

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韓国の赴任1

私が韓国に赴任したのは、今から14年前の2000年12月でした。まだ明確に記憶に残っています。西暦2000年から2001年にかけてのソウルの冬は、25年ぶりの異常気象に襲われ、常時-20度くらいの寒波に襲われた年でした。

凍結イメージ

凍結イメージ

川イメージ

川イメージ

もう寒いなどと言葉では表現できないほどの寒さでした。緯度は日本の仙台市ほどの北緯ですが、日本では、北海道の東側、根室市や釧路市くらいの寒さではないでしょうか。

この年の気候は、ほんとうに異常でした。社宅として借りたアパートから、漢江(ハンガン)が見えます。ちなみにソウルではこの大川を中心に北側、南側との呼びます。川幅は東京の隅田川や大阪の淀川の川幅を優に超える大川ですが、この大川がすべて氷となりカチンカチンに凍ります。なんでも韓国人に聞くと戦車も通れるとか・・・!?。

韓国でのビジネスや生活はもう1冊の本になるほどのエピソードだらけでした。日本での日常では考えられないことが多々あります。一見、同じ顔つきや風習が同じところがあるだけに、もうサプライズどころではありません。変に似たところがあるので、阿吽の呼吸が合わず、これがビジネス上で誤解や衝突となる要因となるのではと思います。

韓国ソウル

韓国ソウル

なにからお伝えするとよいか迷いますが、ビジネス・生活・食事・文化・風習など折をみてこのコラムでお伝えします。

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台湾の恩人②

イメージ写真

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前回①の続きです。

台湾の頭取に渡された本には、日本の統治時代を台湾人の作者たちが語った本でした。日本の本では、日本の植民地政策に対して批判的な内容がほとんどであるのですが、これらの本の内容は違いました。あまり語られない統治初期からの内容です。

当時の為政者、板垣退助や新渡戸稲造らに、「我々アジア人は、欧米列強の植民地主義に対して、どうどうと我々は、低俗な黄色人種などではなく、欧米人と同等のアジア人として自立するすべきだ。」このように教えられた。それは、長い植民地支配にさらされていたアジア諸国では信じられない思想あったこと。また、後進国であった台湾を近代化するたに、日本は、当時の国家予算の7割近くの資本を投下し、台湾の教育制度の確立、衛生の確保、数々の社会インフラを整備したことなどが述べられた本でした。

特に、台湾の不毛の地であった南部カナン平野を山岳にウザンダムを建設し、1600KMのもおよぶ用水路をつくり、ここを一大穀倉地帯にした日本の土木技師 八田 興一(よいち)さんのインフラ建築の数々の苦労話は涙ものでした。

日本が敗戦し、その後、台湾として独立をしようと決意も間もない時、蒋介石が共産党に追われ、台湾に侵攻し、まさに傍若無人な植民地支配。どれだけ日本の統治時代との違いに台湾人たちは嘆いたことか・・・それを辛抱して台湾人は、今の台湾を成長させてきた。それができたのも日本人が作ったインフラと日本人から教わった精神によるものなど・・・当然に、文中には、終戦末期の日本の統治に対する批判の文章があるものの・・。

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わたしは、この本は、日本の政府筋や右翼の関係者の本かと疑い、何度も著者を調べ確認するも、まぎれもなく 台湾の知識人たちの本でした。なぜ日本はこのような話を国民に知らせないのでしょう。大戦後、GHQ(日本占領軍本部)がたくさんの本を焚書にしたことは知っていましたが・・。でもこの本は日本製でわたしが知らないだけ・・・

思った以上のスピードで10冊の本を読みきり、自分なりの意識をもって、いざ台湾へ・・・

頭取にご挨拶に行くと。何も言わずに「ちゃんと読んだね。」顔に書いてますよ。と話される。なぜかと質問すると 頭取は、日本人は、普段は、まあ普通だが、ビジネスで取引等始めるとよそよそしくなる。おそらく「戦時中にすみません。」などまた下らんことを思っているに違いない。と感じる。しかし多くの台湾人は、本音として「ちんけな同情や陳謝の気持ちなど・・馬鹿にするな台湾人を、それより戦前の凛とした日本人をわすれた哀れな奴らだと思っているだよ。」君は理解したから、これから本当に日本人の素晴らしいことや本音で日本人のだめなことを語れる。と言ってくれました。a0790_000728

その後、食事のたびに、色々な話をしてくれました。わたしが間違った意見を言うと、そのたびに叱責されました。頭取のおかげで日本のいわゆる自虐史観から解放され、変な国粋思考にもならずニュートラルな視点を持つことができました。

「本当にありがとうございました。」と新ためて感謝いたします。

こんな気持ちをもって、数年後。韓国に赴任・・・上海に・・・またお伝えします。

 

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台湾の恩人①

仕事の関係でアジアで仕事や現地赴任する機会がありました。その際、日本人としてきっちりした心のスタンスで、アジアの方々と向き合って仕事や生活ができたのは、今から15年ほど前に、ビジネスで取引があった台湾の商業銀行の頭取に教えられたことがあったからです。それは、心に凛とした日本人として誇りを持つことを教えられたからです。 今回はそのお話をします。

台湾レストラン

台湾レストラン

最近では、中韓の反日報道や一昨年の中国における反日暴動の映像などを見て、日本では「もういい加減にして、困った人たちだ。」と多くの日本人は、思っている現状がいまの世論と思います。

しかし1998年頃は、まだまだ「日本は、大戦中にアジアの方々に申し訳ないことをしてきた。」こんな感情が日本人を支配していた時代です。戦後教育では、何の疑いもなく学校でそのように教えられ、映画や小説、マスメディアの論調もそのような風刺・風潮でした。そのような環境で育ったものですので、わたしは、台湾のビジネス交渉中も意識としては、口にはださないものの、「申し訳ない」的な意識を持っていました。

おかげさまで、この銀行でシステム開発の契約が成立することになり、事前の祝賀会で、わたしは頭取に「申し訳ない」的な発言をした途端。頭取は、君の考えは間違っている。ちゃんと歴史の事実を認識しなさい。わたしは、ただただ「すみませんと。」と答えるしかなかったはずかしい記憶があります。ここの銀行との交渉は、おそよ半年ほどの時間がかかり、頭取とも台湾や日本で何度もお会いし、なぜか可愛がられていました。今日の頭取は今まで見たこともない真剣な顔でおこっていました。

次の日帰国する私に、頭取は。2週間後にまた台湾に来るね。これを熟読してきなさい。いままで君とは長く一緒にいた。これからはあなたの会社はアジアとの取引も多くなるだろう。日本人の自覚をしっかり勉強しない。なんと10冊ほどの本のいただきました。台湾人の著者たちが日本語で書いた「台湾を統治した際の日本人」を描いた数々の本でした。

おおお 2週間で10冊・・・学生時代以来、こりゃ大変だ。a1180_012510

帰りの飛行機の中から、読書が始まりました。そこに書かれていたものは、いままで全く知らなかった日本の先達者たちの苦労や功績・また、これら日本人が台湾の方々から感謝されていたという内容でした。・・・②へ続く・・・

 

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神社めぐり4(佐渡③)

佐渡島の最終です。旅館は海の近くでちょっと車で行くとなかなかの絶景

佐渡の荒波

佐渡の荒波

宿に入る前にちょっとドライブ さすがに対馬海流がとおる日本海の海は、冬場きびしい感じがします。ここ佐渡は、順徳天皇、日野資朝(後醍醐天皇の側近)、世阿弥、日蓮などが流刑した土地でもあり、後でわかったのですが、順徳天皇や日野資朝が流刑される際、大勢の職人などが随行し、神社の細工などを行ったらしい。それが今まで見てきた繊細な細工が施された模様。能舞台も多く、古浄瑠璃など文化も盛んです。公家社会の文化があったのでしょう。

たしか佐渡市が設置したの観光案内板には、800ほどの神社があると書いてあった記憶があります。どうりでナビには次々と鳥居マークが出てくるはずです。

佐渡の山々

佐渡の山々

いよいよ旅館へ、おお、泊りはわたしだけ!!! でも立て看板には「佐渡市医師会様」これはたぶん宴会だな。(これがラッキーとなりました。・・・後述)

おかみさんに部屋に案内され、「どちらからお見えで。」「大阪です。」「まー遠いところから、ありがとうございます。 ここは今の時期は、寒いので・・。 どうぞお風呂でゆっくりしてください。」と上品にはなされましたが、 しかし、なぜかちょっと含み笑いが・・・

風呂に行くと「サプライズが・・・出ました佐渡!!!」

さほど大きくない脱衣所から、風呂の入り口の扉を開けると「うあーーー」なんと洗い場に畳が全面にひかれています。なんと風呂の洗い場に たたみが・・・

なんかもったいないというか、不思議な足ざわりで・・・どうりでおかみさんが風呂でゆっくり本でも読んでくださいといった意味が分かりました。体を洗った後、畳がお湯を吸い込んで暖かい・・・ゴロンと横になって本を読むことができます。

さていよいよ晩飯です。うおーーーすごい^^刺身の船盛り豪華版、大きなアワビのステーキ等々盛りだくさん。佐渡の地酒もすこぶるうまい。 あんな安い料金で大丈夫かなあ??    おかみさん曰く、今日は、宴会があり仕入れがうまくいきました。ラッキーでした佐渡医師会様ありがとうございました。たくさん神社を参拝したご褒美かも^^^。

翌朝は、新潟に行くので早足で、フェリー乗り場へ、しかし、また神社マークが・・・でもここは、海岸線?? どこにあるのか??? なんとありました。海の中、海岸の岩にでーんと荒波を防ぐように鳥居が海岸を守っています。すごいな。たぶん朝日か夕日がこの鳥居に、ちょうどはいりそうです。太陽信仰かな。たぶん古代からあったかもしれません。佐渡の海の神社

途中にも、変わった岩山あり、そこにも鳥居マークが・・・しかし時間がない。大慌てで、レンターカー屋さんへ、車を返す時、ご主人へ「なぜ私が北海道生まれと分かったのですか?」と尋ねると、ご主人は依然に北海道で仕事をしていたそうです。人を見る特殊能力の保持者ではなかった。(よかった。)CIMG0157

色々な体験をさせてもらった佐渡、次回は、少し余裕をもってこの島を訪れたいと思いました。

次は、新潟へ、ひいおじい様の出生の地へ探索です。

 
佐渡の海の神社

 

 

 

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